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社会とソフトウェア
 

 現在の日本は様々な問題を抱えていながら少しも改善の方向に向かっていないように多くの皆さんは感じていることででしょう。どうしてこうなってしまったのか。振り返って見るといろいろなことが考えられます。冷戦が終わり、日米欧で独占していた市場経済の中に東欧や中国をはじめとする新興国が参加し、日米欧を中心としていた経済の均衡が崩れ、もっと大規模な製品・サービス・労働市場の世界へと変化しはじめ、日本の存在感が低下し、どう対処して良いか分からない状態にあると見ることができます。

 第2次世界大戦後、日本が復興に努力したのは事実だし、幸運に恵まれたのも事実です。私は戦争を知らない世代で、気づいたときは貧困のまっただ中にありました。朝鮮戦争が勃発して急に食が満たされるようになった記憶があります。いわゆる朝鮮特需です。この辺りから日本の産業は急速に発展して行きます。昭和30年代の成長は最も勢いがありました。ものがなく、造れば売れる時代でした。賃金は安かったのですが、労働力は地方にあふれるほどあっていわゆる都市化が起こりました。農業中心から鉱工業中心の経済へと大きな転換がおきました。傾斜生産、重厚長大、軽薄短小などマスコミに登場した言葉はそれぞれの時代を反映しています。池田勇人首相が所得倍増論を唱え年率7%の成長を続ければ10年間で所得は倍になると今では考えられないような景気の良い話が出たと思ったらその通りになってしまったのです。都会ではビル建設ラッシュ、地方からは人材の都市集中、昭和30年頃の大学進学率は5%程度、昭和40年頃は15%程度、目標は米国を追いかけることでした。米国から技術ノウハウをもらい、賃金が安い日本で生産し、米国に輸出することで日本企業はどんどん成長を続けて行ったのです。昭和50年代は日本が急成長し世界経済を席巻するのではないかと恐れられた時代です。物価は急上昇しますが、賃金も上がり、30%も上昇した年がありました。この頃は家を建てるために借金をしても、実質返済金額が減るという恩恵にあずかることができました。しかし、次第にバブル経済に入りかけていました。そして平成3年、遂にバブルが弾け20年に亘って停滞が続いています。日本がもがき苦しんでいる間に、中国などの新興国が日本型成長モデルで発展を遂げているというのが現状ではないかと思います。私が子供の頃から体験・見聞してきた日本経済の変遷は以上のようなものです。

 もはや従来の日本型成長モデルは使えない、新しい成長モデルを導入する必要があるというのが一般的認識でしょう。しかし、新しい成長モデルと言っても具体的なものが見つからないようです。停滞が続く20年間に、政府は手をこまねいていたわけではありません。国債を大量に発行して集めたお金を公共事業に投入し、景気刺激策を何度も講じてきたが、直後に少しだけ景気が回復したかに見えて直ぐ元に戻ってしまい、また同じことを繰り返し、結局ダメということでいつの間にか国債発行残高がGDPの2倍になってしまいました。小泉政権のときに徹底した規制改革を行おうとしましたが、強力な政治基盤がなくこれも頓挫しました。民主党政権に代わって何か新しい手が打たれるかと思ったのですが、昔に戻ってしまったような状況です。結局、政治家も経済学者も経営者も国民も混沌の渦に巻き込まれ、抜け出すことができないでいるというのが今日の姿だと思います。事態の本質を見抜けずに付け焼き刃の対策を打ってきた結果がこの有様です。従来の解決策をツールとしているだけでは何も解決しないことを学習したわけです。

 悪いことは重なるもので、第2次世界大戦後の経済発展の中で地域共同体が企業毎共同体に姿を変え、人はつながりを維持してきましたが、経済の頓挫によってこの共同体も怪しげになってきました。ところが、新しい共同体に変わるのではなく、人々が孤立無援の状態に放り出される状況になってきました。こういう状態になると人々のやる気は削がれてしまいます。人との絆が崩壊したままでは活力ある社会や経済を構築することは困難になります。

 現在の日本経済が行き詰まっている状況を分かりやすく分析した資料が経済産業省のホームページに紹介されています(日本の産業を巡る現状と課題)。なるほどそうかと頷けるものがあります。本資料に書かれている解決策となると単純な金融政策でないのですが、今の政治家に実行する力があるのかと心配になります。しかし、やらないより増しなので積極果敢に攻めて欲しいものです。この資料は経済構造について述べているもので、社会システムについては全く触れていません。社会の人々がどこでどのように働くことを望んでいるかが、事業展開のベースになります。その先に本資料で述べているような経済発展の仕組みを設計しなければならないと思います。

 残念ながら整然とした解決策だけでは新しい成長モデルは生まれず、問題解決に立ち向かう信念と、失敗しては起き上がる執念が必要となります。政治家、官僚、経済学者が様々なアイディアを出しても国民が本気になって動き出さなければ物事は始まりません。また、上に述べたような経緯で日本社会は変化し、混沌とした状態になっているのですから、歴史の中に解決策を見い出すことは難しいでしょう。国内外の状況を踏まえた新たな国作りが必要となっています。こういう時代にやり方を間違えると日本は奈落の底に落ちて行くことになります。日本が経済の行き詰まりを発端として第2次世界大戦に突入し、メチャメチャになってしまったという事実がありますから、その可能性は否定できません。そして、一つひとつの判断は正しいかに見えても、全体をつなぎ合わせると大きな誤りとなることは案外多いので、局所的解決策だけに気をとられていてはミスを犯し易くなります。

 局所最適で全体誤りを防止し、全体最適を狙うには国家戦略においても前項:ITプロジェクト戦略で述べたような戦略のレベルを考えなければならないと思います。企業経営を国家運営に置換えても戦略の構造は当て嵌まります。

 日本の今後の成長を考えるとき、日本の成長戦略は何かが問題となります。日本の労働生産性は海外に比べて低いとの指摘があります。少ない資本と労働力で高い付加価値を生み出すことが必要となっています。製造業やサービス業と言った局所的な生産性向上だけでは海外との競争に勝てなくなりました。国全体の構造を変えて生産性を向上させる必要があります。その重要な手段の一つに都市化があります。東京と同型の地方都市を増やすのではなく、ネットワークで繋がった機能傾斜型都市をつくるのです。各都市には関連衛星都市が繋がるというものです。

 都市化がなぜ成長戦略に繋がるかを簡単に述べますと、都市化には次のような効果があるからです。

インフラや施設を多くの人で共有できるので効率が良い。
多様性、専門性がある人材を許容できる。
雇用者と被雇用者のマッチング機会が多い。
売り手と買い手のマッチング機会が多い。
ジョイントプロジェクトのパートナーに出会う機会が多い。
起業家と投資家のマッチング機会が多い。
多様な人材と起業家と投資家と安価なインフラが整っていて新技術、新市場、新組織が生まれやすい。
直接的なコンタクト、交流機会が得やすい。
知識の創造、拡がり、蓄積効果が高い。

 都市化には家賃や地代の上昇、交通渋滞、長時間通勤という負の面もあります。都市化はある程度の大きさでバランスがとれるのが望ましいのですが、バランス良く拡大が止まるということはないようです。

 機能傾斜型とは傾斜生産を真似た私の造語です。国際競争力がある都市の産業としては、他の関連産業を牽引する産業(例えば、IT、情報、環境、ロボット、バイオ、エネルギーなど)をコアとし、このコアを中心に関連産業を育成するというものです。関連企業が全国に分散していては相乗効果が上がらないので、集中させて生産性を上げることを狙います。分散していたものを集中化することによる生産性向上の効果は大きいと思います。

 こうした産業振興には国が投資するというのが正しいお金の使い方ではないでしょうか。細かいことですが、機能傾斜型都市計画に対して予算をつけ、全国の自治体に応募させ、将来性が見込める計画に予算を配分するというのは一案だと思います。国が統制する方式ではものごとはうまく進まないでしょう。

 さて、前段が長くなってしまいましたが、ネットワークで繋がった機能傾斜型都市にとってITは欠かせない手段になります。上記の都市化の効果は、ITで補完することにより、より効率を上げることができます。e-mailやSNS、ホームページ、TV会議と言った日用品的なソフトウェアだけでなく、企業間取引、電子市場、サプライチェーンなど機能傾斜型都市と関連産業のある衛星都市とをネットで連携することにより国際競争力のある都市を構築することが可能ではないかと思います。ここに、国家戦略を支える技術として、ITが登場します。言うまでもないことですが、ITだけで機能傾斜型都市を実現することは不可能です。

 また、地方の各自治体が同じような住民サービスの情報システムを維持するというのは無駄なことです。既に小規模自治体では情報システムを独自に維持するのが困難になっていました。総務省が取り組んでいる自治体クラウドは正しい方向だと思います。同じような無駄は他にもたくさんあります。ソフトウェアは一つあれば良く、似たようなソフトウェアをいくつも用意する必要はありません。

 おかしなことは他にもあります。人々にはいろいろな事情があり、フルタイムで働くことはできない、あるいは毎日オフィスに通勤することができないが自宅であるいは近くのサテライトで働きたいという人はたくさんいます。働きたい人に働いてもらえないというのは“制度”が適合していないからです。多様な働き方の一つにテレコミューティングを追加すべきです。紋切り型の労働環境から柔軟な労働環境にシフトする手段としてソフトウェアは役立ちます。

 今日、ソフトウェアは社会のあらゆるところで使用されています。しかし、まだ十分とは言えません。センサー技術が進むと新しいソフトウェアが発明され、社会システムに組込まれるでしょう。その結果、社会システムの構築コストを大幅に下げ、社会の動きをウォッチし、統計データをとり、社会システムの効率を計測し、改善する手段になります。

 社会のあらゆる仕組みを作りだし、かつ支えるのは人(が生み出す知識)であり、それを実現する重要な手段としてソフトウェアの役割は大きくなっています。

参考資料:Urbanization and Growth (Commission on Growth and Development) (Paperback)
        Robert Buckley (Author, Editor), Patricia Annez (Editor), Michael Spence (Editor)